おいもの模型遍歴だべ | 04/12/10 |
オラのプラモづくりの馴れ初めは小学校の低学年の頃にTVでやってたガンダムに影響されて地元の駄菓子屋でガンダムを買って作ったのが最初だべか。 小学生の時はガンダムを買って作る他に、車が好きだったので、アニメに興味が無くなって行くにつれて車のプラモを作るようになったんだな。もちろん駄菓子屋には塗料なんて置いて無いもんだから「プラモに色を塗る」という概念も無かったんず。 その割りに車のミニカーの類のいわゆる「完成品」には全く興味が無かった。作るという行為が好きだったんだんだね。今思うと。 「塗装行為」をするようになったのは中学に入ってから。タミヤのX-26とX-27の2色。 そう、テールレンズとウインカーを塗った訳ですね。キホンだべな。 ボディーやシャシー、内装なんかは全く塗らず。小遣いでは缶スプレーなんて買えなかったがんね。 国産、外国車問わず、カッコイイと思うスポーツカー的なものを選んで作ってました。 ちょうど、国産車に280馬力のスポーツカーが登場した頃で、スープラとかGTOとかを作ってました。 いつしか模型を触らなくなり数年が過ぎ、大学に入学しました。 大学は地方の30万人程度の小さな町だったんだけど、おいもの田舎とは比べ物にならない訳ですね。おいもの田舎には畑のかかしを含め9000人くらいしかいませんから。 本屋に行けば車の雑誌が沢山並び、レースのビデオまで並んでいました。ちょうどその頃、トヨタがカローラでWRCに復活し、エボ、インプ、カローラと日本のメーカーがWRCで戦うという大変に熱い時期でした。 ハセガワやタミヤからはラリー車のプラモが発売されていたようで、ラリー雑誌にはラリー車のプラモの作例が載ってたりして。 そこでタミヤのインプレッサとランエボの2台を購入して作ってみましたよ。数年ぶりに。この時に初めてサーフェイサーというものを使って下地を作った。 ランエボは完成までたどり着きましたが、インプレッサはボディ塗装した時点で、色々忙しくなって製作途中でお蔵入り。いや、箱にしまったんですよ。念のため。 そのまま卒業。就職。 就職して3年が経った頃、隣町にプラモ専門店が出来たらしいという噂を聞きました。 「はて、プラモ、プラモ・・・インプどこ行ったっけ?」 大学生だった時に作りかけていたインプレッサを完成させてみようかと「ふと」思って探し出して作り始めました。折角お金出して買ったんだしね。と。 塗料が無くなったので隣町に出来たプラモ屋まで買いに行ってみると、展示品があるわあるわ。フィギアからガンプラ、戦車に車と。 「うわ〜んめ〜」 (訳:うわ〜うまいなぁ〜) インプレッサのデカール貼りを終えてからプラモ屋に飾ってもらったのでした。 なんせプラモの作り方のイロハも知らない時に塗ったボディですから、下地の色透けや艶も無い状態。 周りの車と比べてもイマイチ感が強い。 作ってからネットで模型の情報を調べると「こんなにあるんかー!」と思いましたね。 お気に入りフォルダの中でプラモ関連が一番多くなるまで時間は掛かりませんでした。 それから3つプラモを作ってみて色々判って来た事もあるし、その都度失敗もするし、コレはサイトを作って見てもらえば俺の失敗を教訓にする人も居るかもしれないし、もしかすると良いアドバイスももらえるかもしんねーし。 という感じで続けていきますので、ひとつよろしくお願いします。 |
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